野國總管物語

マチューの決意(けつい)

久米(くめ)大門
スタジオパーク(現在のむら咲むら)内につくられた久米(くめ)大門

 台風(たいふう)の去(さ)ったあとの野国村(のぐにむら)のありさまは、ひどいものでした。農作物(のうさくもつ)はぼ全滅(ぜんめつ)し、つぶされた家もありました。それは、野国村(のぐにむら)ばかりではありません。となり村の野里(のざと)、砂辺(そべ)、屋良(やら)も同じでした。漁にでようにも、台風(たいふう)のあとはシケがつづき海にもでられません。このあとに、日でりがつづくかと思うと、いても立ってもいられませんでした。

 マチューが心配(しんぱい)したとおり、台風(たいふう)が去ったあとは、雨が一滴(いってき)も降(ふ)らない日がいく日もつづきました。ききんのはじまりです。うえ死にしたものがでたという話が、マチューの耳にもはいりました。

 「このまずしい野国村(のぐにむら)を救(すく)うてだてはないものか。野国村(のぐにむら)だけではなく、国じゅうの百姓(ひゃくしょう)たちをききんから救(すく)うてだてはないものか」

 マチューの頭は、このことでいっぱいでした。こんなとき、きまったようにマチューの頭のなかにうかんでくるのが、船乗(ふなの)りたちから聞いた「とてつもなく広い国、豊かで、この琉球(りゅうきゅう)とはくらべものにならないほどすすんだ国」中国(ちゅうごく)のことでした。

 「よ-し、中国(ちゅうごく)へ行こう」

マチューの頭は、まだ見ぬ大国中国(ちゅうごく)のことでいっぱいです。まだ見ぬ大国中国(ちゅうごく)によせる思いがいよいよふかまっていきました。しかし、まずしい野国村(のぐにむら)の百姓(ひゃくしょう)の子が、中国(ちゅうごく)などへ行けるはずがありません。中国(ちゅうごく)へ行くにはどうしたらよいのやら、見当(けんとう)もつかないのです。それでも「中国(ちゅうごく)へ行く」というマチューの決意(けつい)は、日に日に大きくなるばかりでした。

 マチューの決心(けっしん)を聞いた両親(りょうしん)は、ただただ肝(きも)をつぶすばかりです。

 「よいかマチュー、百姓(ひゃくしょう)の子が学問(がくもん)をするというだけでも、とんでもないことじや。それを首里(しゅり)にでて学問(がくもん)をしたいなどと、とほうもないことを考えるんじゃない。」

 と、父はたしなめるのでした。

 マチューには、父のいうことがよく理解(りかい)できました。父のいうとおりなのです。百姓(ひゃくしょう)の子が首里(しゅり)や那覇(なは)にでて学問(がくもん)をしたいなどと、まるで夢(ゆめ)のような話です。それでも、マチューの決意(けつい)はすこしもにぶりませんでした。

 「台風(たいふう)にも強く、日でりにも強い作物(さくもつ)があれば野国村(のぐにむら)、 いや国じゅうの百姓(ひゃくしょう)たちがうえ死にしなくてすむのです。この琉球(りゅうきゅう)にはこのような作物(さくもつ)があるとは思えません。中国(ちゅうごく)という国は豊(ゆた)かでとてもすすんでいると聞きます。しかも、とてつもなくひろいといいます。わたしはどうしても中国(ちゅうごく)へ行きたいのです。」

 おろおろするばかりの両親(りょうしん)を前に、マチューはまごころをこめてお願いしました。マチューの目は、燃(も)えるように熱(あつ)く、顔はつかれたようにねつっぽく輝(かがや)いていました。マチューのこのような顔を見るのははじめてでした。

 中国(ちゅうごく)へ行くために、首里(しゅり)にでて学問(がくもん)をしたいというマチューの願いは、いくら考えてもとほうもないことだと父や母には思えるのでした。しかし、マチューのあまりの真剣(しんけん)さに、これ以上反対してもむだだとさとった父と母は、村(むら)の頭(かしら)スーに相談(そうだん)することにしました。




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