野國總管物語

貧(まず)しい野国村(のぐにむら)


おおむかしの田うえのようすをえがいたものです。

 野国川(のぐにかわ)から水をひいた田んぼには、黄金色(こがねいろ)に輝(かがや)く穂(ほ)をつけた稲(いね)が風にゆれています。畑には、青々とした麦(むぎ)、あわ、豆が収穫(しゅうかく)をまちのぞんでいるかのように実(みの)っています。

 「どうか、今年は台風(たいふう)がきませんように」

野国村(のぐにむら)の百姓(ひゃくしょう)たちが、この時期(じき)になるといつも心に願うことでした。田んぼといっても、わずかばかりの面積です。畑もせまく、とても百姓(ひゃくしょう)仕事だけではくらしむきがたちません。それでも、野国村(のぐにむら)の人たちにとっては、命(いのち)よりもたいせつな作物(さくもつ)でした。幸(さいわ)いなことに、海にひらけた野国村(のぐにむら)の人びとは、百姓(ひゃくしょう)仕事のかたわら、天気さえよければ舟をあやつり、漁にでます。

舟をあやつることにかけては、すぐれたわざをもっていた野国村(のぐにむら)の人びとでも、台風(たいふう)や海がシケてあれるときは漁にでることはできません。

 そんなまずしい野国村(のぐにむら)の百姓(ひゃくしょう)の子として、野國總管(のぐにそうかん)は生まれました。幼(おさな)いときの名を松岩(まついわ)といい、村びとはマチューとよんでいました。

マチューも、野国村(のぐにむら)のほかの若者と同じように百姓(ひゃくしょう)仕事に汗水(あせみず)をながす一方で、舟をあやつり漁にでかけます。

 ことに、舟をあやつることにかけては、だれにもまけないほどみごとなわざを身につけていました。小舟ながら、かなり遠くの方まででかけていきます。

 マチューの船好きは村(むら)びとの間でも評判(ひょうばん)で、近くの比謝川(ひじゃかわ)の山原船(やんばるせん)がはいったと聞けば、すっとんでいくマチューのすがたを見るのはめずらしいことではありませんでした。また、めずらしい船がはいったと聞けば、仕事をほっぽりだしても見に行くのでした。マチューにとって、山原船(やんばるせん)やめずらしい船をながめることは、なによりも胸をわくわくさせるのです。行ったことのない山原(やんばる)の人びとのくらしむき、海のかなたの中国(ちゅうごく)や大和(やまと)の話など、どんなことでもマチューを夢中(むちゅう)にさせるのでした。そればかりではありません。船乗(ふなの)りたちからおそわる船をあやつるコツは、マチューにとってこれ以上の勉強はありませんでした。




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