
福州園(ふくしゅうえん)
中国(ちゅうごく)・福州(ふくしゅう)との有効のしるしとして那覇市久米につくられました。
福州(ふくしゅう)の町をくまなく歩いた野國總管(のぐにそうかん)は、すすんだ町のようす、人びとのくらしぶりの豊かなことなど、あらためて中国(ちゅうごく)という国のすばらしさに感動(かんどう)する毎日でした。道行く人びとの服装(ふくそう)も、琉球(りゅうきゅう)とはだいぶようすがちがっていたものの、くらしぶりの豊(ゆた)かさをのぞかせていましたし、家々のつくりも、大きくどっしりしたかまえになっていました。王都(おうと)首里の町はいくらさかえても、地方の百姓(ひゃくしょう)がききんのたびにが死するありさまを、一日も早くあらためなければなりません。
福州(ふくしゅう)で学ぶ中国(ちゅうごく)の学問は、野國總管(のぐにそうかん)の心をときめかすものでしたが、やはり一番の大きなのぞみは、ききんを救(すく)う新しい作物(さくもつ)をさがしだすことでした。野國總管(のぐにそうかん)は、わずかでも時間ができると、にぎやかな町をひそかにぬけだして、農村(のうそん)のくらしぶりを観察(かんさつ)することにしました。やはり、琉球(りゅうきゅう)の百姓(ひゃくしょう)とはちがい、使う農具(のうぐ)や作物(さくもつ)の栽培(さいばい)のし方もすすんだものでした。
ある日のことです。大きな百姓屋(ひゃくしょうや)の農場(のうじょう)に案内(あんない)されることになりました。
「ああ!」
思わずさけんでしまいました。なんというひろさだろう。見わたすかぎりの畑がえんえんとひろがっているのです。野国村(のぐにむら)の田んぽや畑を一つにしても、これほどのひろさはありません。
ひろい畑一面に、青々と葉がおいしげり、畑をおおいつくしているのです。もちろん、生まれてはじめて見る作物(さくもつ)です。
野國總管(のぐにそうかん)は、畑のそばにすわると、葉を一枚ちぎってしげしげとながめました。ちぎった葉からは、まっ白いしるがしたたりおちています。やわらかい葉はあつく、つるつるしているのです。 野國總管(のぐにそうかん)の思いつめたようすに気づいた中国人(ちゅうごくじん)の百姓(ひゃくしょう)は、
「これは甘藷(かんしょ)という作物(さくもつ)ですよ。」
と、にこにこしながらいいました。
「甘藷(かんしょ)?」
野國總管(のぐにそうかん)は、おいしげった葉をかきわけてみました。葉のついたつるが、土をはうように縦横(じゅうおう)にひろがっています。
「甘藷(かんしょ)、甘藷(かんしょ)!」
と、くりかえしつぶやきながら、なおも葉をかきわけてつるをさわってみたり、根(ね)っこの土をほりかえしてみました。
中国人(ちゅうごく人)の百姓(ひゃくしょう)は、くわで軽(かる)く土をほりかえし、根(ね)っこを両手でもつと、力をこめてひきぬきました。根っこには、五、六個の実(み)がぶらさがっていました。
「おお!」

と、思わず声をあげた野國總管(のぐにそうかん)は、ひきぬいたばかりの実(み)を手にとってみました。
「これは、とてもおいしいのですよ、總管(そうかん)どの。むしてもよいし、焼(や)いてもなかなかいい味がします。もちろん、そのまま食べてもいいのですが……。」
自分の家に野國總管(のぐにそうかん)をしょうたいした中国人(ちゅうごくじん)の百姓(ひゃくしょう)は、先ほどひっこぬいた甘藷(かんしょ)の実(み)をむしたものを、お盆(ぼん)に山(やま)もりにして持ってきました。
「さあさあ、めしあがってみてください。」
野國總管(のぐにそうかん)は、さっそく手にとると、半分にわって口に入れてみました。なんというあまさだろうか。琉球(りゅうきゅう)では味(あじ)わったことのないものです。



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