
福州(ふくしゅう)のまちのようす。(県立博物館蔵)
台風(たいふう)や、心配されたかいぞくにおそわれることもなく、ぶじ福州(ふくしゅう)の町につくことができました。
福州(ふくしゅう)の町は、大型(おおがた)の船も出入(でい)りする河口(かこう)近くにひらけた町で、東には東シナ海をのぞむことができました。商人(しょうにん)たちでにぎわう中国(ちゅうごく)の対外交易都市(たいがいこうえきとし)のひとつで、活気(かっき)にあふれ、人びとの日々のくらしむきも豊(ゆた)かでした。
進貢使節(しんこうしせつ)の一行(いっこう)は、琉球国王(りゅうきゅうこくおう)の使いということもあって、とてもていねいなあつかいをうけ、正使(せいし)や副使(ふくし)を先頭(せんとう)に全員が柔遠駅(じゅうえんえき)に案内(あんない)され、てあついもてなしをうけました。
柔遠駅(じゅうえんえき)というのは、とおい国から中国(ちゅうごく)をたずねてくる人びとをあたたかくもてなし、安心してすごしてほしいという中国皇帝(ちゅうごくこうてい)の願いをこめて名づけられた宿泊施設(しゅくはくしせつ)です。琉球使節一行(りゅうきゅうしせついっこう)のための専用(せんよう)の宿泊施設(しゅくはくしせつ)となったこともあって、琉球館(りゅうきゅうかん)ともいわれていました。
かつての琉球使節(りゅうきゅうしせつ)の一行(いっこう)は一四〇五年につくられた来遠駅(らいえんえき) (泉州(せんしゅう)) でもてなしをうけていましたが、一四七二年に福建市船提挙司(ふっけんしせんていきょし) (現在の税関(ぜいかん)のような業務(ぎょうむ)をする役所(やくしょ)) が、泉州(せんしゅう)から福州(ふくしゅう)にうつされます。そのときに、琉球館(りゅうきゅうかん)ともよばれた柔遠駅(じゅうえんえき)がたてられたのでした。
さて、じゆうぶんなもてなしをうけた使節団(しせつだん)の一行(いっこう)は、それぞれにわりあてられた部屋(へや)にわかれて、明日からはじまる中国(ちゅうごく)での新しい生活に胸(むね)をときめかしていました。野國總管(のぐにそうかん)も夢にまで見た中国(ちゅうごく)の大地(だいち)を自分の足でふみしめることができたのです。こうふんして、夜になってもなかなか寝つかれませんでした。
使節団一行(しせつだんいっこう)のなによりもたいせつな任務(にんむ)は、琉球国王(りゅうきゅうこくおう)からのみつぎものをもって、中国皇帝(ちゅうごくこうてい)にきちんとあいさつすることでした。中国皇帝(ちゅうごくこうてい)の住(す)んでいる北京(ぺきん)までは、三千キロという気のとおくなるほどの長い道のりです。福州(ふくしゅう)を旅立つ使節団(しせつだん)は、浦城(うらじょう)、清湖(せいこ)、杭州(こうしゅう)、蘇州(そしゅう)、揚州(ようしゅう)、准(すい)、張家湾(ちょうかわん)をとおって北京(ぺきん)にたどりつきます。往復(おうふく)にはおよそ半年もかかる長旅でした。琉球(りゅうきゅう)からのみつぎものを献上(けんじょう)すると、そのお礼(れい)に二倍から三倍ものおくりものをたまわって福州(ふくしゅう)に帰るのです。その使節団一行(しせつだんいっこう)にくわわるのは、正使(せいし)や副使(ふくし)をはじめとするごくかぎられた役人だけでした。また長い道のりの間、琉球使節団(りゅうきゅうしせつだん)をまもってくれたのは、福建省(ふっけんしょう)の役人(やくにん)たちがえらんでくれたすぐれた護衛兵(ごえいへい)たちでした。
使節団一行(しせつだんいっこう)が、長い旅にでかけたあとのるすをまもる進貢使(しんんこうし)の一行(いっこう)は、福州(ふくしゅう)でさまざまなことを学ぶことが大きな任務(にんむ)のひとつでした。儒学(じゅがく)、天文学(てんもんがく)、地理学(ちりがく)、医学(いがく)、音楽、絵画(かいが)、工芸(こうげい)、植物学(しょくぶつがく)など、中国(ちゅうごく)のすすんだ学問(がくもん)を吸収(きゅうしゅう)して、琉球(りゅうきゅう)でひろめるのです。
野國總管(のぐにそうかん)も、るすをあずかるひとりでした。るす組のなかでも、中国語(ちゅうごくご)にたけた野國總管(のぐにそうかん)の学問(がくもん)のすすみぐあいは、中国(ちゅうごく)の学者(がくしゃ)でさえ目をまるくするほどでした。
「琉球(りゅうきゅう)にも、これほど学問(がくもん)をきわめたものがおったとはおどろきじや。」
「野國總管(のぐにそうかん)は、まるで砂が水を吸(す)いとるようにわが国の学問(がくもん)を吸収(きゅうしゅう)する。いやはや、おどろくべきじょうたつぶりじや。」
福州(ふくしゅう)の学者(がくしゃ)たちの口をついてでることばは、いずれも野國總管(のぐにそうかん)の勉強ぶりをほめることばかりでした。

福州(ふくしゅう)にあった琉球館(りゅうきゅうかん)


Copyright 嘉手納町役場. All Rights Reserved.