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「西村外間筑登之親雲上農書(ニシムラホカマチクドゥンペーチンノウショ)(1838年)」作成の頃かあるいはそれ以前に作成されたと思われる「安里村高良筑登之親雲上、(アサトムラタカラチクドゥンペーチン)田方(タガタ)ならび芋野菜類養生方大概之心得」(いもやさいるいジョウガタタイガイノココロエ)には、蕃藷の作り方のなかに甘藷の品種に関する記述がみられるので以下に紹介する。 一、かつら(方音(ホウオン)カンダ)は、唐薯(トウイモ)、黒かつらなどの品種がよい。しかしながら植える時期とか土質などもあるので、かつらの品種もよくよく考えて植えるべきである。 但しかぢやという品種は7月15日ころから8月の中ころまでは植え付けできない。黒かつらも7月中旬より9月までは植えられない。このころは、唐かつらなどを植えるのがよい。 一、かぎやと唐かつらを比べると、なるべくかぎやの方がよい。 一、唐かつらという品種は、つるさきの赤い甘藷である。じゅうぶんな湿りがあれば、赤こうという品種がよい。 一、 赤こうは、過湿の土地にはよくない。この品種のつる先の赤いものは、変種で退化しやすく、つる先の白いものは、葉が枯れやすい。 以上、農書から品種の種類に関することがらを抜粋して紹介したが、次に幕末の頃伝わった「オランダー芋」についての若干の資料を紹介する。 当時の沖縄では甘藷の名称は「ンム」であり’、「オランダー芋」とは、オランダ(外国のこと)から伝わったンムという意味である。 仲原善忠全集第4巻に、島津斉彬(ナリアキラ)言行録からの「オランダー芋」関係の抜粋記録がある。 「現在、オランダ芋と呼ばれている種類は1857(安政4)年12月、アメリカ軍艦が琉球へ渡米したとき、米人から恵与されたものである。南アメリカ産の貯蓄がしやすい種類のものであり、市来四郎(イチキシロウ)在琉のとき、手に入れて献上されたものである」という内容の記録である。沖縄大百科事典には、「オランダー芋は黄芋ともいい、異国船がもたらした新品種で、水気が少なく長持ちするため糸満漁夫が航海に持参したので、糸満芋とも呼ばれた…」という説明がなされている。また、南種子町島間(タネチョウシママ)小学校校門の左手校庭緑には、サンダー甘藷についての、次の碑文が建っている。 ◎ サンダー甘藷由来碑 安政3(1856)年4月、甘藷サンダー種、本島に伝わる。俗に呼んでオランダ芋という.蓋しこの称の由来は知らざるなり。これ流球トメグス(豊見城)村にサンダーという人あり。初めてこれを栽培す。よってこれをサンダー芋という。味すこぶる口舌に適し、かつ保存に椹う。たまたま当地の人、山小田(ヤマオダ)次郎作、瀬戸口甚四郎(ジンシロウ)、山小田周作三人、琉球にあり、喜び求めて携え帰る。この種の本島に入る、実にこれを以て嚆矢(コウシ)となす。爾来(ジライ)、本島民その恩沢を蒙ること蓋(ケダ)し大なり。今その功を思い、区民相談し、これを石に銘じて以て不朽に伝うと、云々。 明治三十五年九月十七日 島間区民一同、 以上種々の資料から近世琉球王府時代の甘藷の種類について紹介した。 なお、オランダー芋(方音ウランダー)は、かぎや(方音かぢや-)、赤こう(方音アカグー)などとともに昭和30年代ころまで、沖縄でよく栽培されていた品種である。 |
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(文:宮平 友介) | |||
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