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42. 琉球の甘藷ミニ知識
芋の話あれこれ 甘藷の移動禁止

 現在、琉球列島から本土への生芋の持ち込みが植物検疫で禁止されている。アリモドキゾウ虫や芋ゾウ虫等の北上を食い止めるためである。1956年12月15日海南時報は沖縄では芋が斤当たり1円50銭。宮古が不作のため斤7円になったため沖縄から芋が「輸出」されている。沖植防ではイモ象、バイラス、メイガ等のイモ害虫のため、列島間の移動禁止がされているので宮古に輸出しないようにとある。当時は列島内でも芋の移動が禁じられていたことがわかる。

 芋の密売エピソード

 その頃の話である。石垣喜興(元、石垣市長)の回顧録からの要約である。宮古で芋が高く売られると聞いて船をチャーターして八重山から芋を大量に積み込み平良港に入った。ヤミ値でおおいに売れた。ところが買い手が港の側の宮古警察署や平良市役所の前を堂々と通る。警察や役所職員等が船にやって来た。公然とヤミで売られたらメンツがない。しかし、宮古は食糧難。3者会談が開かれ取引が行われた。警察、役所のメンツをたてる代わりに笑いが止まらない儲けになった。味を占めて再び八重山から芋を一杯積んで宮古にいったら今度は宮古では芋が収穫出来るように回復していて赤字になった・・・。

 芋の豊作は不吉

 沖縄県国頭郡志に「大芋や厄芋(ヤクイモ)」という「俚諺(リゲン)」が紹介されている。2001年に沖縄市高原で一株から30キロ、同年今帰仁村で1個10キロの芋が収穫されている。芋の豊作の基準はない。この言葉は、甘藷畑の収量が通常に比べ異常に増えた場合をさすのである。芋に限らず、豊漁の場合も不吉とされたのと同じである。葬儀の為の不意の出費収量として昔の人は判断したものである。

 芋のカズラと台風

 八重山の俚諺(リゲン)に「アッコンヌカザヌ上カイノブツアカ大風」というのがある。芋のカズラが横にはうのではなく、カズラが上に向かって伸びていくと大風が吹く前触れというのである。経験による俚諺(リゲン)と思われるが確率についてはよくわからない。

 高江洲ミー芋(村の悪口)

 琉球列島から鹿児島にかけて、それぞれの村人の性格等を表した言葉がある。「那覇人はナーハイバイ」とか「首里人はスリーズリー」、「八重山ヒジュルー」等々とほとんどの村にそんな言葉が付けられている。圧倒的に批判的、あるいは悪口である。うるま市字高江洲。昔、村芝居に村あげて熱中し、畑もほったらかし、食うのもなくなって他村のミー芋をあさって食べるまでに困窮したことからできた言葉だとか。
            
〈文・崎原恒新〉