>> 戻る <<
7.野國總管から学ぶもの・社会貢献
 野國總管から学ぶものの3つめは、社会貢献であります。野國總管の社会貢献に値する行為・業績として上げられるのが、世に広く知られている通りの中国から1605 年に甘藷を導入したことであります。この甘藷導入のおかげで、1600 年代から400 年後の今日までその大きな恩恵を受け、特に、江戸期の頃の旱ばつ・飢饉の際や太平洋戦争中の食料不足の時代には日本国中の人々を餓死や飢えから救いました。そして、現在では甘藷ブームともいわれるくらいにお菓子やヘルシー食品として人々に愛用され、恩恵を与えております。この業績こそ社会貢献の最たるものだと考えます。

 その事績を具体的にみてみたいと思います。甘藷を中国にもたらしたのは、陳振竜(ちんしんりゅう)で彼は1594 年フィリピンのルソン島から持ち帰り、福建省を中心に広めたといいます。この中国の甘藷を日本に伝えたのは、總管以前の1597年、宮古の長真氏旨屋(ちょうしんうじしおく)が持ち帰ったと、その真偽はともかくとして、この甘藷は宮古島から他地域には出ていなくて広く普及するには至っておりません。

 ところで、甘藷を中国から導入し、琉球全土はもとより全国に普及させた功績は、何といいましても野國總管であります。野國總管は1605年、甘藷を鉢植えにして中国福州から持ち帰った(麻姓系図)といわれ、陳振竜が中国に甘藷を伝えてから9年後のことであります。中国に甘藷が伝来・普及後の野國總管が甘藷を伝えた1594年から1605年の間に琉球からの進貢使節団は2年1貢と数えて、5~6回は中国に渡り、その使節団も甘藷畑も見、甘藷のことも知っていたと思われますが、甘藷を持ち帰ったのは野國總管だけであります。その当時、中国では甘藷は持ち出し禁止といわれ、その禁を犯す罰に恐れをなして持ち出しを断念したのか、確かなことはわかりませんが、野國總管は、この重宝な作物である甘藷があれば、野國村の人々の苦しい生活を救えるという強い使命感に燃え、いろんな苦労を乗り越え甘藷導入に成功したものと思われます。

 我々町民は、その偉大な社会貢献を果たした先達の存在に誇りを感じ、その功績を称えるとともに、その遺徳をどう継承していくかが今後、我々に課された大きな責務だと思われます。
(文責伊波勝雄)