>> 戻る <<
5.野國總管から学ぶもの・国 際 性
 嘉手納町教育委員会では、野國總管の遺徳を後世に伝えるとともに、その先達に学ぼうという意図のもとに嘉手納町の教育目標や嘉手納外語塾の塾訓には、野國總管が体現した国際性・進取の気象・社会貢献の三つを掲げ、その具現化を目指しています。特に、小中学生たちには、野國總管の業績である中国との交易の進貢船の総管職(事務長職相当)として中国に渡り、艱難辛苦(かんなんしんく)の末、甘藷をもたらし、近世から現代まで日本の全国民が甘藷の恩恵に浴し、産業の一大恩人として世の尊崇を受けている偉大な先達を教育の指標、いわゆる目指すべき夢・にぬふぁ星として教育の展開を図っております。

 まずは野國總管が体現した国際性について考えてみたいと思います。国際性とは、自国中心の閉鎖性を打破し、広く世界の国々と教育・文化・経済・産業等の交流を図ることのできる資質や能力を意味する言葉です。現在では、国際社会とか国際化、国際人、国際色などの言葉はよく使われます。ところが、野國總管が活躍した17世紀当初のわが国では、1603年に江戸幕府が成立するという時代で国際云々という発想で物事を考える風潮は皆無に等しかったのではないかと思われます。ヨーロッパでは、大航海時代に入り1600年イギリスが東インド会社を設立し、アジア進出を目指しています。

 野國總管は、このような国際環境の下で、当時の中国は世界の先進国として、政治、経済、文化等栄華を誇った国であり、その国からあらゆる文物を吸収するために中国に行くことを決意し、ついに総管職を手に入れ、中国行きの夢を果たします。そして、中国では甘藷に出会いこの小さな琉球国さらには野國村を富ますことで甘藷の導入を図ったものと思われます。

 このように、野國總管の生き様は、今でいう正に国際感覚を身に付け、国際性に富んだ発想のもとに行動した偉大な人物だったと評価できるものと思います。
(文責伊波勝雄)