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36.甘藷の効用 畜産の振興と甘藷・その2
 先号では沖縄の主要な家畜のうち牛・馬・山羊について見てきた。真打ちとして登場願うのが、今日でもなお沖縄の肉食文化の中核をなす豚である。

 沖縄の豚の起源については諸説があるものの、いずれも推定ないしは可能性の指摘にとどまっており、それを解き明かす明確な論拠を提示しているとはいえない。「14、5世紀に豚が沖縄に持ち込まれて以来、人々の生活と深く関わり、利用されてきた」(『沖縄の豚と山羊』・島袋正敏)とするのが一般的な考え方であろうと思われる。

 豚にまつわる沖縄の民俗習慣は多岐にわたっている。フル(フールとも)呼ばれる便所兼用の豚舎、祭祀との関わり、民間信仰のフル神(フール神)、旧暦正月用のウヮークルシ(豚の屠殺)等々、数えあげれば枚挙に暇がないほどである。これなどはまさしく、沖縄の人びとが豚肉に対する嗜好性が極めて強く、生活の中で深く関わってきた証左と見るべきであろう。 

 さて、豚の餌としてはまず真っ先に頭に浮かぶのが甘藷である。豚の多頭飼育が可能になったのは、甘藷飼料なくしては考えられないといっても過言ではない。主食として利用した残りの小いもや皮、葉っぱや茎までも余すところなく豚の飼料として活用したのである。「甘藷の導入と広がりは豚の飼育状況を飛躍的に好転させたであろうことは想像にかたくない。いやまさに飼料革命といわれるほどの大変革であったに違いない」(『沖縄の豚と山羊』)とする見方は決して誇張したものではないといえよう。それと同時に、沖縄に「豚文化」なるものが誕生した背景に甘藷導入による飼料の確保がもたらした豚の本格的な飼育の実現があったことも挙げることができると考える。

 それでは甘藷導入前の豚の給餌はどのようになされていたのであろうか。確たる資料がないので類推するしかないのだが、主体は先行作物であったターンム(田芋)や野生の植物の葉であったろうと思われる。それに加えて魚介類や猪などの人間の口にしない内臓物であったと推察する。当然、それだけでは豚の複数頭飼育は困難であったと考える。本格的な多数頭飼育を実現できたのは、甘藷の導入があってはじめて可能になったと見るべきであろう。先に述べた豚の飼育状況を飛躍的に好転させ、飼料革命をもたらしたとする考え方にも、十分な妥当性を見つけることができるという訳である。また、18世紀に王府が直接豚の飼育を奨励する通達を出すのだが、甘藷の導入、普及による豚の資料に革命的な変化をもたらしたことと決して無縁ではなかったといえよう。


                                            
文 座間味 栄議