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31.甘藷の効用 何故に、主食たり得たか
甘藷の効用として真っ先にあげるべきは、沖縄の人びとの食生活に変化をもたらしたことだと、先号で述べた。
 甘藷の導人前より主要作物として栽培されていた稲や麦などの穀類を押しのけて、主役の座を占めるまでに急速に普及し、庶民の主食にまでなった理由は奈辺にあったのだろうか。

 まず、青木昆陽が指摘するように「栽培の安易さ」と「雨風に対する強靱さ」をあげなければならないだろう。「土をかける程度で栽培に手間がかからない」と言い切ってしまうほど、往時の沖縄で栽培が安易であったかどうかは若干疑問が残るとしても、高度な栽培技術のいらない作物であったことは確かなようである。つぎに風雨に強いということだが、雨はともかくとしても風(台風)に強いというのは、そのとおりである。先行作物である稲や麦と比しても一目瞭然で、最も大切な「いも」は地中で成育するわけだから、台風の害も軽微で済んだのであろう。農家の人たちが積極的に栽培に取り組み、急速に普及していったのもうなずける話である。

 つぎにあげられるのが、食材としての効率のよさと調理の利便さであろう。いもはもちろんのこと葉っぱや茎まであますことなく利用しているのだから、食材としての効率の良さはピカ一であったろうと思われる。また調理の利便さにおいても、生でよし、煮てもよし、焼いてもよしというのだから、これまた文句のつけようのない食品であったのだろう。

 これだけの条件がそろえば、あとは供給さえきちんとできれば、十分に主食たりえたと思うのだが、肝心要の「味」と「栄養」の問題が抜けていた。

 青木昆陽は「味覚に優れ」そして「栄養分が豊富」だと述べている。味覚云々は微妙な問題で個人レベルの嗜好もあって、一概に論じることはできないが、「甘藷」を初めて口にして「まずい」と吐き出したという話は聞かない。しかし、戦前・戦中派の中には「いもを見るのも嫌だ」という人がいるのも事実だし、「いも食」に辟易している世代が少なからずいることを考え合わせると「主食」として味覚に訴えるだけの「旨さ」があったかどうか判断に迷うところである。栄養の点では十分に主食たりえることが証明されている。
(詳細は『甘藷と野國總管』の168ページを参照)


※奈辺(なへん)【「那」は中国語の疑問詞または遠称代名詞】不定称の指示代名詞。多く、抽象的な場所や不明の位置など指し示すのに用いる。どのあたり。どこ。
「その真意が~にあるか不明だ」

(文:座間味 栄議)