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21.戦後における野國總管の顕彰
 戦後においても、野國總管の業績は、当時の時代状況を受けて、新たな観点から顕彰されることになります。とくに、教育や行政の分野において、戦後復興期における一つの指針として野國總管の遺徳が掲げられ、推進された点が大きな特徴だといえます。

 その一つは、教科書編集の教材として、新たな視点から野國總管の功績が顕彰されたことです。米軍政府は、沖縄戦が終わった約40日後、琉球独自の教科書を編集するために国語学者の仲宗根政善氏らを集めて、〈読方〉や〈算数〉の教科書編集を命じました。同教科書は、戦前の軍国主義的教材や日本的教材を使用してはならないとの米軍の教科書編集方針の下で、「人類愛ニ燃エ新沖縄建設ニ邁進スル積極進取ノ気魄ト高遠ナル理想ヲ与エル」新教材として編集されました。沖縄の民を救うため中国から甘藷を入手し、沖縄に広めた野國總管の進取の姿勢が、戦後復興期の「新沖縄建設の精神」の指針に合致する、「高邁ナル理想」に基づく「積極進取ノ気魄」による先例として顕彰され、戦後最初の教科書に掲載されたのです。

 もう一つは、野國總管甘藷伝来三百五十周年奉祝によって、その功績が産業復興の観点から新たに顕彰されたことです。同祝賀会は、終戦から十年がたった一九五五年に嘉手納町で開催されましたが、その趣意書には当時の状況について次のように記されています。野國總管は「戦前は産業の大恩人として世持神社に合祀」されていましたが、「敗戦の結果現在では軍用地である野国海岸にお墓ばかりあるのみで全島的に余り関心無く放任状態に陥って居り」、この度、あらためて「琉球産業の大恩人」として顕彰し、「旧農林学校敷地内に野國總管宮を建設」することがうたわれています。さらに、その記念事業に対して、琉球政府立法院が「産業興隆の意気を高揚」し、琉球の「郷土復興の途上、誠に慶賀すべきこと」として「満場一致で決議」を行なっています。
    
 このように野國總管の功績が、戦後沖縄の復興期における「新沖縄建設の精神」の指針として、彼の「高遠ナル理想」に基づく「積極進取ノ気魄」が評価され顕彰されている事実を確認することができます。その意味で、野國總管はいつも時代の節目節目で新たに顕彰されているといえます。

 21世紀を迎えた今日、わたしたちは、郷土の先達である野國總管の遺徳やその精神から何を学ぶべきでしょうか。2年後の野國總管甘藷伝来四百周年を祝う2005年の催しは、わたしたち一人ひとりに、そのことを考える素晴らしいきっかけを与えてくれることでしょう。
(文責・屋嘉比 収)