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17.野國總管像の形成
 これまで、野國總管の功績が記された、家譜や琉球王府の正修史などの近世資料や近代学校教育で使用された教科書について言及してきました。今回は、それらの史資料や記述を踏まえて、野國總管の功績や全体像について明確な輪郭をあたえ、今日の野國總管像の形成において圧倒的な影響を及ぼしている二つの論文について述べることにします。その2つの論文は、郷土史家の眞境名安興によって書かれた文章です。野國總管の功績や全体像が、高名な郷土史家である眞境名の筆で一次資料に基づき実証的に叙述されたことの意味は大きく、それは、その後の野國總管に関する記述のほとんどが、眞境名のその文章を原典として引用していることからもうかがえます。

 眞境名安興が、野國總管の功績や全体像について最初に書いた論文は、沖縄教育会が発行している機関誌『沖縄教育』で、同会の創立25年を記念した特集号(明治44年8月)の「偉人伝」として「沖縄産業界の二大恩人」である儀間真常と野國總管を取り上げた文章です。その内容は、野國總管と甘藷伝来について、先述した家譜や文書などの近世資料を駆使しながら、その全体像が叙述されています。それには、明治後期以降、学校教育で郷土教材が活用され、沖縄でも郷土研究調査や人物史論の活発化が背景にあり、その野國總管に関する眞境名の文章は、すぐに「琉球偉人伝」という表題で『沖縄毎日新聞』に転載されて、広く一般にも読まれるようになりました。

 二つめの文章は、大正五年に発刊した伊波普猷との共著『琉球之五偉人』の中に収録された論文です。その論文は、最初の「偉人伝」の文章とほとんど重複していますが、削除された部分や新たに補筆された記述もあり、特に、甘藷伝来に関する記述が大幅に補筆されている点が注目されます。

それは、沖縄への甘藷伝来において野國總管の移植よりも九年前に宮古に伝播していたという説を論じている箇所や、蕃薯の内地伝来の年代と場所に関する異説、そして耕耘栽培上の改良を行なった周氏金城和最に関する記述などです。現在の研究では、沖縄への甘藷伝来で野國總管よりも宮古伝播が早かったという説については所説があり、はっきりしていません。ただ、家譜や近世文書など現存する史資料により確認できる記述という点からすると、沖縄への甘藷伝播において野國總管による移植が最も早い時代であることに疑いはありません。

 ともあれ、今日の野國總管の功績や全体像考えるうえで、家譜や由来記、旧記などの史料に基づき、眞境名安興という権威ある郷土史家によって叙述された、この二つの文章の与えた意義は決定的であり、今でも原典として広く参照されています。
(文責・屋嘉比 収)