2 進取の気象を学ぶ |
「進取の気象」とはむずかしいことばですが、とても深い意味をもっています。 まず、手元にある辞書をひいてみましょう、「進取」とは「習慣にとらわれずに、意欲的に新しいことをすること」とあり、「気象」とは「心いきとか精神」とあります。古いカラを打ち破り、旧来の考え方にとらわれずに、新しい試みに積極的にトライしていこうとする意気ごみをもとうということです。野國總管が中国のすぐれた文化や政治・経済をふくめた社会のしくみに目をむけ、意欲的に学ぼうとした心いきは、まさしく「進取の気象」といえるものです。 ここで、野國總管が中国へ渡わたるきっかけとなった進貢船の「總管職」について少しふれておきます。野國總管が總管職についた時代(1600 年代の初めごろ)は、はっきりとした役目は決められてなかったといわれていますが、それが後の時代には進貢船の事務長(事務をまとめる)職にあたる役職になったといわれています。 『沖縄大百科事典』(沖縄タイムス)には「進貢船の船員役名。貢船に奉安されている天妃を祀り、あわせて船員の作事・水梢を総理する役であり、航海に慣れている者なら地方のものでも任用された」と記されています。 「天妃」とは、中国で発祥した航海安全の守護女神のことです。媽祖像とよばれる女神を船中でたいせつに守り、航海安全を祈ることも總管職に与えられたたいせつな役目の一つでした。そのほかには、乗組員の世話をするのも總管職の仕事だったのです。 現在の天妃小学校(那覇市)の敷地内に「天妃を祀る天妃宮の石門」(上天妃宮跡)がのこされています。 「航海に慣れたものなら、地方の者でも任用された」とありますから、野国村出身の野國總管が總管職に登用されたとしても、それほど不思議なことではないといえるかも知れません。しかし、役職をきちんと果たすためには、それにふさわしい知識と経験が必要だったと思います。それよりも何よりも、危険きわまりない進貢船に乗って、海を渡るという固い決意がなければなりません。その決意こそが、「意欲的に新しいことに取り組む心いき」だったと思います。そのような野國總管の精神を深く理解し体験することが「進取の気象」に学ぶことなのです。 野國總管亡なき後の1700 年代になると、總管職は再び中国から帰化した久米村出身者によってしめられるようになります。それを見ても、總管職がいかにたいせつな役目をになった役職であったかがわかります。 |