甘藷と料理
1 庶民の伝える生活の知恵
ポスト・ハーベスト
 この本の第1章と2章では、野國總管をはじめとして、苦労して甘藷の導入や普及につとめた人たちの話が語られています。それは、ほとんど甘藷づくりに汗を流した人たちの功績をほめたたえるもので、収穫した後の甘藷の利用に心をくだいた話と少しちがいます。

 ポスト・ハーベストとは、収穫した後の利用を考えることをいいます。第3章では甘藷と人びとの暮らしが語られていますが、このポスト・ハーベストの主人公になったのは、特別の学問をおさめた人や技術をもった人でなく、甘藷を主食として1日に3度も4度も食べた農家の人たちであったことがわかります。

 第3章の「甘藷の食べ方」のところで、嘉手納町屋良の人たちの1日の食事風景が紹介されています。そこで紹介されている1日の食事の献立を見てみると、朝一番の「ミークファヤー」(目覚めのときの軽い食事)から「ユーバン」(夕食)まで、食事のたびごとに甘藷が出てくることがわかります。このような食生活を長い間つづけてきた人の中に「今では、いもを見るのも嫌だ」という人たちが出てきたとしても不思議ではありません。
 その当時、ポスト・ハーベストということばはもちろんありませんが、日々の生活の中で、ふつうの人たちによって、甘藷を使ったバラエティーに富む料理が考え出されています。沖縄の人たちは、甘藷をいもはもちろんのこと、茎や葉っぱにいたるまで、実にじょうずに使い切っていたのです。沖縄の農家の人たちこそ、まさしく、ポスト・ハーベストの先駆者であったといえます。
大正時代の農村風景 そのころは甘藷を主食とする生活でした。