3 広がる甘藷の用途 | ||||||||
川越のいもせんべい | ||||||||
これまで見てきたように、甘藷は伝来以来、国民の貴重な食料となりました。沖縄では、350
年以上もの間、人びとの主食となったばかりでなく、でんぷんやみそなどの原料としても用いられ、家畜のたいせつな飼料となるなど、はば広く利用されてきました。 一方、日本本土においても、庶民のもっとも身近な作物の一つとして、多くの人に親しまれてきたのです。 18 世紀の終わりごろから19 世紀の初めに、江戸(東京)の町に、はじめて焼きいも屋があらわれます。焼きいもは、江戸庶民のスナックとして人気が高まり、たちまち焼きいも屋のない町はないといわれるほど繁盛します。 いもせんべいの誕生した川越の町(埼玉県)で生まれた「川越いも」は、江戸の焼きいも屋用のいもとして発展することになります。川越いもの産地として知られるようになった川越では、1895 年の「川越鉄道」の開通をきっかけとして、川越らしい土産品づくりに取り組むようになります。取り組みの中で、いろいろなものが考案されますが、その中の一つが「いもせんべい」でした。 いもせんべいは、つくった当初から好評で、たちまちのうちに川越を代表するお菓子になります。とてもシンプルな味ですが、その人気は100 年たった現在でも変わりません。 |
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ペーストとフレーク | ||||||||
甘藷の用途を大きく広げたのが、加工技術の発達です。甘藷の技術は、でんぷんを取り出すことによって始まります。現在でも加工用に栽培される甘藷は、その多くがでんぷんの原料として利用されています。ところが輸入でんぷんがふえるにしたがって、でんぷん以外の活用をさぐる研究がさかんに行われるようになります。このことが、甘藷の加工技術を大きく発展させることになるのです。そして、1960 年代の後半にはフレークが、1970 年代にはペーストが開発されます。フレークとペーストは、甘藷の一次加工品としてさまざまな商品の材料や原料として利用されるようになります。 | ||||||||
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所狭しと並ならぶいも製品 加工技術の進歩とともに製品開発も活発に行われるよう になりました。 |
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甘藷と加工食品 | ||||||||
いも菓子類、スイートポテト、いものアイスクリーム、いもパン、いもようかん、いものタルト、いもまんじゅう、いもこんにゃくなどなど、私たちの身の回りには数えあげればキリがないほど、甘藷を使ったお菓子や加工品があふれています。カラフルに包装され、スマートに変身した商品からは、昔ながらの素朴な形をした甘藷のイメージは伝わってきません。 日本中のほとんどの空港の土産品店には、所狭しと甘藷を使った商品が並んでいます。甘藷に関するあらゆる情報を集めていることでしられる鹿児島県の「さつまいも館」には、約600 種にもおよぶお菓子類や加工食品が展示されています。そのうち、お菓子類が450 種類、それ以外の加工食品が150 種類もあります。そのほとんどが、商品の説明書を読まなければ、原料が甘藷だということがわからないほど、あざやかな変身をとげています。 甘藷は穀類(食用や販売対象となる穀類)と分類されることからもわかるように、主な成分はでんぷん質ですが、そればかりではなく、各種のビタミンやミネラル類も豊富にふくまれています。甘藷ひとつで、主食にもなれば副食にもなるというわけです。 このような甘藷のもつ特質がヘルシー食品として注目されるようになり、加工技術の発達とともに、さまざまな加工食品を生み出したといえます。 |
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広がる一次加工品のニーズ | ||||||||
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