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37.琉球の甘藷ミニ知識 ①いもの名の由来
○ あっこん
 八重山方言で甘藷のこと。甘藷の皮があか色だったことからその名がついたという。八重山に甘藷が導入された当時の芋の色を窺(うかが)わせることができる。

○ いも
 沖縄・宮古・奄美・本土の一部でいう甘藷のこと。本来地中に塊根ができるものはすべてイモである。例えばジャガイモ・里芋・田芋・山芋というように。沖縄等では塊根作物の主流が甘藷となったために甘藷のイモが他の芋を制してイモといえば甘藷となったと思われる。奄美の母間や本土ではイモといえば里芋のことをさす地域もある。本土のイモ名月(行事名)のイモは里芋のことである。

○ いんなよう
 甘藷の品種。棚原で聞いた話。ある人が芋を収穫して洗ったら皆浮いた。これは不味(まず)いと知り合いの者に馬にでもとくれた。貰った者が食べてみるとおいしい。それでくれた人には「言うなよ」といいつつ、その畑の芋をもらい続けた。そこからこの名がついたという。金武あたりでは「カタンナヨー」と称している。同義の言葉。

○ 沖縄1号
 沖縄県農事試験場で松永高元(こうげん)らが品種改良して誕生した甘藷。1923年に命名。登録番号による命名。沖縄県の奨励品種。なお、沖縄とつく登録番号の芋は1号から18号まで。ただし、17号を除く。その次は沖縄百号から105号までであった。

○ 沖縄百号
 沖縄県農事試験場で松永高元らが品種改良して誕生した甘藷。1934年に命名。登録番号による命名。沖縄県の奨励品種。中国大陸でも広く栽培された。中国名は勝利百号。

○ うきんむ
 直訳すると浮く芋。一般的に甘藷は水に浮くものは品質が悪い芋であるがこの芋はもともと浮く芋なのでその名がついた。別名又吉芋

○ おーぜーあんがー
 芋の品種。白保で聞いた話。以前、白保のおーぜーという女性が奄美の者に嫁いだ。この女性が奄美から導入した品種なのでこの名がついたという。

○ 開拓いも
 甘藷の品種。石垣市栄で聞いた話。照屋寛得は戦後、八重山開拓にでかける前に糸満米須の親 戚をたずね南洋芋をもらい開拓地に普及させた。開拓時の甘藷だったのでその名がついた。

                                            
<文・崎原恒新>