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35.甘藷の効用 畜産の振興と甘藷・その1
 沖縄の主要な家畜といえば牛・馬・豚・山羊・鶏などであった。このような家畜がいかような経路で沖縄に導入されたかについては、種々の文献もあり、大まかなところは明らかにされている。

 家畜として最も古い歴史を有するのは犬である。愛玩動物の代表格ともいえる犬を家畜呼ばわりするとは何事か、というお叱りを受けそうだが、貝塚時代にあっては狩猟用として犬を飼育し、猪を狩り食料としていたことが考古学的な見地から明らかにされている。次に古いのが牛・馬である。グスク時代、農耕経済社会に突入していた沖縄では、牛・馬は役畜として飼育していたと考えられている。牛・馬についで導入されたのが肉畜として飼育された豚・山羊であろう。ただし、ここでいうところの歴史とは、あくまでも家畜として飼育された起源を示したもので、動物の発生起源ではない。

 さて、これらの家畜が導入された当初の飼育形態はいかようなものであったのだろうか。草食動物とされる牛・馬・山羊から考察してみる。まず考えられるのが野飼いである。飼料となる野草のある場所で放し飼いする。これは飼料確保のために労力がいらない完全な自給飼料での飼育である。しかし、これでは家畜飼育のもう一つの目的とされる厩肥(ぎゅうひ)生産は期待できない。厩肥生産を実現するためにはどうしても繋ぎ飼いの必要性が生まれてくる。繋ぎ飼いとは朝のうちに飼料となる野草の多い野原に繋ぎ、夕方になると屋敷内の小屋に入れ、翌朝再び原野に繋いで飼う方法である。飼料もすべて野草でまかなっていたと考えられる。野飼いとは違いある一定量の厩肥の生産は見込まれたであろうが、十分ではなかったようである。そこで、17、8世紀になると、王府は農業生産を高める一環として家畜の舎飼いをさかんに指導奨励するようになる。言うまでもないことだが、家畜の舎飼いを実現するためには、労力による飼料の確保が実現されなければならない。その背景に甘藷の導入があったと考えられよう。周知のように、甘藷は家畜の飼料として導入当初から利用されてきた。甘藷よりも早く牛・馬の粗飼料として利用されていたのが甘蔗(さとうきび)の梢頭(さくとう)部(梢葉)である。これらの粗飼料は、いずれも農作物の副産物であり、野草にかわる飼料としてあるいはそれを刈り取る労力の削減という観点からも、家畜飼育農家にとっては、大きな魅力であったにちがいない。役畜としての飼育であった牛・馬が激しい耕耘に使用されたとき、甘藷を使った濃厚飼料を給餌(きゅうじ)することは、そのエネルギー源を供給する意味からもとても重要なことであったといえよう。俗にいうところの「ハミ」(いもくずやいも皮を十分につき砕いて水に溶かした餌)である。

 野草のみで、濃厚飼料をあたえないでも飼育できる山羊は、貧しい農家でも常時飼うことのできる数少ない家畜の一つであった。山羊は堆厩肥(たいきゅうひ)の生産と自家蛋白源の供給、すなわち食肉としての飼育が主であった。「ヒージャーグスイ」という言葉が示すように、農繁期の後の疲労回復(ドゥーブニノーシ)や慰労会などで山羊一頭を屠(ほふ)り食する民俗習慣は根強く残っている。

                                            
文 座間味 栄議