>> 戻る <<
30.甘藷の効用 効用の第一義は食生活の変化
「効用」という語句を辞書でひもとくと「使い道によって発揮され、それを使っただけの意味(効果)」などの解説が付されている。

 甘藷先生などと称された青木昆陽は、甘藷の効用について、下記に記す12項目を挙げて説いている。

1 狭い土地からたくさん収穫できる 2 味覚がすぐれている 3 栄養分が豊富にあって身体によい 4 土の中にできるため風や雨に強い 5 種芋からたくさんの苗がとれる 6 飢饉でも穀物のかわりになる 7 お菓子のかわりになる 8 お酒にすることができる 9 粉にして餅がつくれる 10 生でも煮ても焼いても食べられる 11 虫の害に強い 12 土をかける程度で栽培に手間がかからない(『甘藷と野國總管』84ページより)

 あれもこれも、なるほどと得心のいく項目ばかりであり、さすがに漢学だけでなく本草学や薬学にも精通した学者先生だけのことはある。やみくもに植えるだけの百姓衆とは違うわい、と思いたくもなる。がしかし、よくよく考えてみると、嘉手納の偉人・野國總管が中国から導入(甘藷)して、久しく百余年の歳月が流れた後のことである。甘藷という作物に対する知識がこの程度に深まったとしても何ら不思議なことではないのである。

 往時の琉球(沖縄)では、すでに従前までの主要食物であった穀物にかわり、甘藷がその地位を占めるようになっていたと考えられている。だとすれば、琉球の百姓衆は青木昆陽のご高説を拝聴するまでもなく、甘藷の効用を実践の中で立証していたことになる。

 古来、琉球は台風・干ばつなどの自然災害が多くたえず飢饉に悩まされており、食糧の確保は国の最重要課題の一つとなっていた。凶作はそのまま飢饉と直結し、ときとして大量の餓死者を出し、これによる人口の減少は国力の衰微とつながった。このような地に台風や干ばつに強い作物である「甘藷」がもたらされたことは画期的なことであり、たちまちのうちに全島に普及し、栽培されることとなり、人びとの主要食物になったのはしごく当然の事だったといえよう。「甘藷」の導入が沖縄の人びとの食生活に大きな変化をもたらし、後世になって「琉球の食料革命」をもたらしたとも称されるようになるのは、決して過大な評価ではないのである。

 沖縄にとって甘藷の効用として、まず真っ先にあげるべきは食生活の変化をもたらしたこと、甘藷によって「主食」という概念が生まれたことだといえよう。

(文:座間味 栄議)