>> 戻る <<
18.書物や墓碑による野國總管の顕彰
 眞境名安興と伊波普猷の共著『琉球之五偉人』(大正5年)で顕彰された野國總管の功績は、その後さまざまな場で反復され活用されていきます。それ以降、野國總管の功績や全体像は、沖縄県教育会や沖縄県史蹟保存会によって、その眞境名安興が書いた記述を基盤に、書物や顕彰碑によって讃えられさらに広まっていくようになります。                     
 書物においては、沖縄県教育会が大正11年に郷土の偉人を顕彰するために『なな七いじん偉人しょうでん小伝』の小冊子を発行し、また大正14年には沖縄を訪れる人々のための「歴史文化のしおり栞」として編集された入門書『琉球』が刊行されています。両書では、眞境名の記述に基づいて野國總管の功績がわかりやすくまとめられ叙述されています。とりわけ、『琉球』は、当時『沖縄教育』の編集者でその編集事務も担当した又吉康和によると、これまで沖縄に訪れる人々のなかに琉球文化を誤解している人も少なくないため、それを是正して琉球文化の真相を他府県の人々に理解してもらうための入門書として発刊された経緯が述べられています。また、本書は、それまでの歴史家の記述によるものとは異なり、琉球文化の入門書として教育者の筆により、琉球の偉人の一人として野國總管が取り上げられ、平易に叙述され紹介された意義は大きかったといえます。

 さらにその時期の動きとして注目されるのは、野國總管の功績が教科書や書物により顕彰されてきたこれまでのあり方とは別に、顕彰碑や墓碑によって顕彰されるようになった点です。大正11年に眞境名安興などの郷土史研究家を中心にして、沖縄の史蹟の重要性とその保存を啓蒙するために「沖縄史蹟保存会」が設立され発足いたします。沖縄県教育会とともに、沖縄の歴史文化の研究会だけでなく、貴重な史蹟を啓蒙し紹介するため、代表的な史蹟に標柱を建てる活動などを行いましたが、その一つに野国村に野國總管の功績を讃える「産業界之恩人野國總管之墓」という墓碑を建てています。その墓碑は、いまも野國總管の墓の傍に現存していますが、沖縄戦で被弾して裏面がえぐられて二つに切断された墓碑を、戦後に接続し修繕を施したものです。

 その沖縄史蹟保存会による顕彰墓碑については、先の『七偉人小伝』の中に、野國總管を始めとする琉球の7人偉人の墓碑の形や大きさの寸法を記した見取り図や予算費用が掲載されており、その概要をうかがうことが出来ます。沖縄の歴史文化を碑文によって顕彰するあり方は、沖縄県民や沖縄を訪れる人々にも、あらためて沖縄の歴史文化を見つめ直す機会を与えてくれました。
(文責・屋嘉比 収)